当然のことながら、翌日の私は不機嫌だった。

 まず、寝るのが遅かったのに朝はいつも通りに起きるのはつらかったし、彩音はさっさと出て行ってしまうし、買い物をするという理由をつけていた以上、出ていかないわけにもいかないのも苦痛だった。

 彩音の家を出た瞬間から、彩音は今頃何をしてるだろとか考え出して、電車で向かおうとしていた目的地すら行く気が起きず、こんなもやもやした気持ちのまま町をさまようしかなかった。

 といっても、私に散歩の趣味があるわけでもないし結局はどこかに落ち着くしかない。

 そこで私が選んだのは、ありきたりといえばありきたりな図書館だった。お金をかけず、暇つぶしの本はいくらでもある。今の私には理想的な場所。

 の、はずなのに。

「…………なんで、あんたがここにいるのよ」

 図書館の中でも人のいない場所を探し、日当たりの悪い隅の席で適当な本を読んでいた私は、隣に立った相手に不機嫌な声をあげた。

「なんでって、美咲がこの辺にいるかなって思って」

 当たり前のように隣に座ってきた彩音は、さも当然のように言った。

「理由になってないわよ」

 私は不機嫌を装いながら髪を払いわざと視線を本に落とす。

「あ………」

 彩音はその本を問答無用で取りあげて私の手の届かないところへ置いた。

「美咲って、変わんないよね」

「何がよ」

「昔から何かあるとここに逃げるんだから」

「…………」

 あえて何の反応も示さない。それが事実で何も言えないから。

 小学校のころからそうだ。最近は全然なかったけど、昔から私は彩音と険悪になるたび私は、許したくないのに会うと簡単に許しちゃうのが嫌で、彩音から逃げていた。家なんかにいたって絶対に彩音がやってくる。そして、大体彩音のほうから謝ってくる。

 私が原因となるときでも。

 いつもそうやって私から謝罪の機会を奪って、許さなきゃいけない状況にさせるのだ。

 それが、悔しいような情けないような気がして私は彩音から隠れる。

(………もっとも、同じだけど)

 こうして見つかっちゃうんだから。

(……見つけて、くれるんだから)

 早くもこんな思考をしている自分が情けない。

「つーか、さ、これってあんた?」

 私が何を考え始めているかも知らず彩音は首元に手をかけると、そのまま服を引っ張って胸元を露出させた。

 そこには、唇の形に赤く腫れた肌があった。

「私以外に誰かいるとしたら、あんたをぶん殴ってるところね」

 心とは裏腹に私は棘のある言葉を放つ。

「なんでこんなことすんのよ。いきなり澪に気づかれたでしょうが」

「ふーん。宮月さんのところには行ったの。で、なのになんでここにいるの?」

「質問してんのはこっち」

「っさいわね。あんたがバカだからよ」

「は? なにそれ」

「あんたが私のものだっていう自覚が足らないから、私のものっていう印をつけてあげたのよ」

「………意味、わかんないだけど」

「なら、わかるように自分で考えることね」

 私は、そこでまた彩音から視線を外した。

(……まぁ、あんたには無理でしょうけど)

 そうやって、彩音をバカにしながら、やはりはっきり自分の気持ちを言うことのできない自分にいらだちを覚える。

(……言えるわけもないけど)

 デートの約束を破られたのが悲しくて、しかも他の子のところに行くのが悔しくて、そんな嫉妬からせめてもの抵抗にキスをしたなんて。

 つまりは、もっとかまってほしいという証。子供が気を引きたくていたずらをするのとかわらない。

 考えろといったけれど、こんなことを見抜かれたら恥ずかしくてたまらない。

 ただ、その心配がなさそうなのはいまだに心当たりを探している彩音の顔を見ればわかる。

「で、私の質問だけど、なんであんたがここにいるの?」

 ほっといて、答えにたどり着かれても面倒なので私は頬杖を突きながら彩音に問いかけた。

「ん? 美咲が元気なかったから」

「っ………」

 彩音が現れたことで揺れた心を不満で誤魔化していた私だけど、そんな一言にまた心を揺らす。

「だから、探しに来たの?」

「そりゃね、探すでしょ」

(…………むかつく)

 駆け引きも何もなく素直にそう言ってくる彩音が。……そもそもこっちは表面上はいつも通りを装ってたつもりなのに。

「……宮月さんのところにいってたくせに」

「澪には謝りに行ったの」

「謝り?」

「そ。当日に約束をキャンセルするのに、電話とかメールじゃ悪いでしょ。だから、澪の家に行って直接謝ってきた」

(……だから、あんなに朝早くから出かけてたの?)

 てっきり、宮月さんに会うのが楽しみでそんなに早く出かけたのだと思っていた。

「で、それからはずっとあんたを探してた。結構大変だったよ? 電話すればいいかと思ったのに、あんたケータイの電源切ってんでしょ」

 そういえば、そうだ。これも、逃げていた理由と一緒。誰とも話す気分でもないし、なにより彩音からの情報をシャットダウンしておきたかった。電話はもちろん、メールだって彩音からじゃ絶対に確認してしまうから。

「……なら、普通諦めるでしょ」

 それが賢明だ。連絡の取りようもない、しかもどこにいるかもわからない相手を探すなんてばからしいことだ。

 まして、どんなに遅くても夕方には戻ってくるというのに。

「それでもよかったんだけど」

(……………)

 自分でそういう風に話を持って行ったくせに私はむっとしてしまう。

 しかし、

「早く会いたかったしさ」

(……………ほんと、こいつは)

「だ、大体、買い物行くって言ってたのに、なんでここに探しに来るのよ」

「え? だから、美咲がここにいるかなって思って」

 きょとんとしながら、彩音はそれが当然かのように言う。

「一応、駅には行こうとしたんだけど、なんか美咲はまだこっちにいる気がして、そういえば、美咲はよくここに来るなってのを思い出したの。で、ここに来たらほんとにいたってわけ。美咲って結構単純だよね」

(……単純なら、よかったわよ)

 たとえ、本当に本心は隠しながら、表面上はなんでも言えるようなゆめの半分でも、素直な心があればとは思う。

(……まぁ、でも)

 これで、いいのかもしれないわよね。

 このバカが良くも悪くも単純なんだから。

 それに、彩音は私を選んでくれた。

 宮月さんとの約束があったのに、もしかしたらゆめだって来たかもしれないのに。

(………当たり前だけど)

 ゆめの存在は知らないが、どちらにしても今回のメインは宮月さん。そこで私を取らないなんてありえない。

 ただ、当たり前ではあってもそれは彩音の想いの強さの証明。それに

(………見つけて、もらえたんだから)

 心の底じゃ、これを望んでいたのかもしれない。だから、私は昔からここにしかこないのかもね。

 見つけてもらえることを期待して、勝ち目のないかくれんぼをするのだ。

「ふぅ……私の負けよ」

 どこか嬉しそうにため息をついた私はやっと隣に座る彩音に視線を戻せた。

「へ? いや、悪いのはあたしでしょ?」

「うっさい。許してあげるって言ってるのよ」

「ま、まぁ、それならそれでいいけど」

(……ばーか)

 なんで許したかもわかってないんだから。

 心ではそう思いつつも、私は微笑みながら彩音を見つめた。

(本当に、バカ。でも、大好き)

 口にはしてあげないけど。心からそう思うわよ。今までも、これからもね。

「…………………」

 なぜか無言で見つめあう私たち。

 私は、ちょっとだけ潤む瞳で彩音を。彩音は今の状況を飲み込めてないみたいで、少し惚けながらあたしを見ていた。

(………ここで、仲直りのキスでもできたら、完璧だけど)

 まぁ、このバカにそんな期待をしても……

「んっ!!??」

 体を引き寄せられたかと思うと、唇に甘い感触が訪れる。何度も、何度も知ってる触感。

 大好きな人の唇。意外に多くはない彩音からの口づけ。

「……はぁ…」

 それほど長時間じゃないキスを終え彩音の熱を帯びた吐息が私の頬をくすぐる。

 私はその望んでいたキスに、みるみる不機嫌な顔になっていく。

(こんな、こんな、不意打ち)

 反則すぎよ。

「あ、あれ? キスして欲しいのかなって、思ったんだけど……違った?」

 全然私の気持ちに気づけなかったくせに、こんな時だけ………

「……ほんと、あんたって」

 私は、嬉しさと羞恥と、怒りに顔を赤くしていって

「むっかつく!」

(だいすき)

 正反対の意味を持つ言葉で、気持ちを伝えるのだった。

 

1/おまけ1

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